休み明け、女の革靴

パーティーの余韻に浸る間もなく、正月休み明けの朝は鈍器で殴られたように始まる。いや、なぶられるように始まる。
駅に向かう道々に、人は鈍いきしみをたてて流れている。
工業団地の運河は、鉛が流れてるみたいに薄汚れてるね、って比喩る時のような情感で、人は流れていってる、私もまた、流れていってる。

母なる大地にまします駅のプラットホーム。
電車待ちの列に、あまり都会的とは言えないピンクのコートを着た女が、黒くてよく磨かれた皮靴を履いている。
その靴は黒光りに光って、周りの風景をクリアーに映し出している。

想い人の瞳を見つめるとき、相手の瞳に映っている自分自身の姿を見て、なんか自分の姿をあえてみないようにするというか気まずいというか、そんなこと知らねぇよという奴は、ポルノビデオの進行を一時停止したときに、ふと真っ黒になったモニターに映る自分自身の姿を想像すればいい。
愛しているのは相手ではなく、そこに反映した自分自身を愛しているだけなのではないか、という人間関係の矛盾を、改めて突きつけられるような感覚がそこにはあった。

女の靴に映る風景はこの世界と等しいものだろうか。
反映するものでしか知覚できないとしたら、どちらにも虚実はない。
女の革靴に反映する風景を通して、私は永遠に反転する世界に放り込まれる。

中央線・中野駅を境に、地下へと潜る列車の中で、風景のない窓に映る自分の姿が、合わせ鏡のように延々と連なるにまかせて
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# by shiitakesentaku | 2017-01-06 12:06 | 2017年1月

燃え尽きたレーズンパン

ここに日常はなかったのだろうか。

突然、台所にスモークの演出。
さては全米を熱狂させたイリュージョニストの登場か、と思う間もなく思い至り、駆け出した。

無残にも木炭のように黒々と炭化したパンが網の上に横たわっている。
内にまだ熱を残した、無言で絶叫する、漆黒のミイラ。

要するにパンをトーストし過ぎてしまったのでありました。

まるで、若い男に惚れられた老婆が、在りし日の自身の肉体と今の状態を鑑みて、非常に申し訳ない、といった態でベッドに横たわっているような、ためらいと押し殺された期待の、交差。

可食部はどこだ!可食部はどこだ!
と頭脳の中で拍子木を打ち鳴らして、自身を鼓舞した私は、透明な使い捨てポリエチレン手袋を両手にはめて、さっそくこの困難なオペに取り掛かることにしました。

悪性物質がいたる所に転移しているけれど、私達ならきっと大丈夫。私達は共に手を取り合って、様々な困難を乗り越えてきたじゃないか。

言い争って、裸足で夜の街を駆け出したパンもあった。
記念日に偶然同じプレゼントを買って来て、笑いあったパンもあった。

日々のなにげないパンがパンであったと、パンであるあなたは言う。
雨に濡れて崩れ落ちた体で。

あなたの笑顔は、どんな闇をも照らしてくれる、何よりもかけがえのない、光… いえ、パン…


さて、炭化した部分を取り除いてみると、後に残るは粗末な残骸。
魚の皮が嫌いな人の、食後の皿に残る皮を見ているような空疎感。

呆然と台所に立ち尽くす。

悪気があった訳じゃない。あの頃の僕らは、若かったんだ。きっとただ、それだけ。
今はもう会えないけれど、何年後かにはまたあの時みたいに笑って話し合えるよね、、

格子のはまった台所の窓から空を見上げる。
私は自由を奪われた鳥かごの中の鳥のようで、あった








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# by shiitakesentaku | 2017-01-04 08:42 | 2017年1月

帰省。はるかなるイオン。怒れる能勢電鉄。

日本は世界の中の田舎者で、人間は宇宙の中の田舎者です。
あてどもなく彷徨う僕は、何者でしょうか。

実家に帰省するも時間を持て余した挙句、早々に家族の集いから離脱する。

当てにしていた喫茶店には「年始のため休業」の貼り紙。
はっと思い出し、顔を上げると、かなたの山の連なりに連なる赤い看板。
はるかなるイオン。徒歩約、1時間。

しょうがないので歩き出し、頭の中にはとりとめのない想念が浮かんでは消える。

…はるかなる未来。西暦2000年代の地層からは、バキバキに折れた傘の骨が多数出土することでしょう。それを発見した未来人は首をひねるに違いありません。さんざん考察を重ねた末、それらは新種の生物の骨だった、と結論付けるかもしれません。キノコ状の翼を持つ、珍妙な飛行生物・アンブレーラ!
ギャオーン(叫びながら口から怪音波を飛ばす音)
ボガーン(ビル群が怪音波を浴びて爆発する音)

荒廃した田舎の街並み。
打ち捨てられた農具、雑草の茂る駐車場。
何もない街道をひたすらに歩く。

20年前、どうしようもない思春期の頃の僕も、この道をこの様に歩いていた。

何も変わっちゃいない。無為に歩き続けている。人生マシになったと思うなよ、おまえは、永遠に、彷徨い続ける運命なのだ。悲壮なんて言葉は与えられない。翻弄されろ。常に踊らされる、おまえは無為の、道化者なのだ、

かなたにライトアップされたイオンの看板。
今は救いの光の様に、遠景に浮かんでいるけれど、僕を招いても拒んでも、いない、光






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# by shiitakesentaku | 2017-01-02 13:43 | 2017年1月

私は私というものを疾患している。

そして、それはいつかは癒えるようなものではない。
純潔天然の「本当の自分」なんて都合の良いものもないだろう。
虚実をひっくるめて形作られてきたのが自分なのだから、見たくないもの、私を滅ぼそうとするものもまた、私なのであった、、

という風なことを考えながら道を歩いていると、傍らをトラックが走り過ぎていった。
コンテナには「アクティブ感動引っ越しセンター」と書かれている。

アクティブ感動引っ越しセンター、なんとも恐ろしいネーミングである。

名前から察するに、もし仮に作業員が不注意でピアノを角にぶつけても「あ、ごっめーん。てか、なんかぶつかった時にいつもと違う響きしなかった?このピアノが持つポテンシャルが引き出されたっていうかさ。この際、もっと私達の可能性を試してみない?」
なんて言い出して、マンションの五階のベランダから、いっせいのーでで放り投げる。
歓声と拍手は上空にとめどなく反響している。

破砕して、潰れた甲虫のようになったピアノをうっとりと眺めて「このオブジェには美的進化の可能性がある」と評し、弦の隙間に花を差す、流木を食い込ませて構造を複雑化する、ポンプで水を循環させる、などの改良を加えた末、撮影隊を呼び込んで映像作品としてカメラに収める。

私達の感動のためには、引っ越しなど二の次なのだ。そもそも私達は何のために生まれて来たのか。
心と体を響き合わせて、きらめくような生命のセッションを繰り広げるためではないか。

制作した映像作品は、動画投稿サイトで10億再生回数を突破し、感動の波は世界に広がる。

さあ、サイトで得た広告収入で勝利の美酒に酔いしれよう。(会費は一人一万円ね)

私達は、世界中のあらゆるネガティブなものを叩き潰す!打つべし、打つべし!
そのためにはどんな戦いも辞さないのです!

なぜなら私達は、アクティブ・感動・引っ越しセンターなのだから!





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# by shiitakesentaku | 2016-12-30 16:50 | 2016年12月

親知らずの乱

杉並区の歯の無料検診があるというので行ってきました。
特に不具合は見られなかったけど、親知らずは後々の歯のトラブルの原因となりやすいので、どうせなら4本いっきに抜いときましょうや!みたいな話の流れになって、

イエッサー! ポチッ!(ボタンを押す音)

みたいな軽快な返事ができるわけもなく、自分の体に属するもので特に問題もないのにそれを取り除くことに抵抗を感じ、そのように提案した医者に不信を抱いてしまった。

医師は親身に相談してくれるので、それを無下に断ることも出来ず「えぇ、そういうことなら、そのような方向で、進めるような感じでも、まぁ、、」と言葉を曖昧に濁してしまった。

人の善意を切り捨てては嫌われるのではないか、とか、そんな時に他人の気持ちを気にする自分は矮小だ、とか、そもそもなんで親知らず生えてくるんだよ、とか、受付の女の子がかわいいからもう一度来たいなぁという気持ちを過剰にアレンジして面白おかしくブログに書こうか、とか、様々な思いが内心に渦巻き、ほうほうのていで医院を後にしたのでありました。

そしていつしか、僕は親知らずの事しか考えられなくなっていました。

口の中を、宴会場に見立てると、明らかに上座に陣取っている親知らず。
確信的に、嬉々として卓につき「ねぇちゃん、日本酒まだかえ?」みたいな顔をしている。

何様のつもりなのだ。

我々は同じ料金を支払ってこの場にいるというのに。

別にこちらサイドとしては、あなたのことを邪魔する気なんてさらさらないのに、それなのに、でしゃばった顔をして、周りの誠実な歯を委縮させてしまっている。

もしあなたが心を入れ替えるなら、、たとえば人里離れた道場に籠って、心身を一から鍛えなおし、余計な自意識や排他的思考を改めた上で、再びこの身に戻ってくるのなら、僕はいつでも歓迎致します。

そのような心の余裕、お互いにより良い関係を結びたいという建設的な思考が、僕の中にはあります。

それなのに、親知らずよ!

親知らず、という正義の面を被った悪意は、口腔の奥にひっそりと佇み、ほくそ笑んでいる。
世界の秩序を守る、と高々に宣言し、それと同時に、着々と悪意の根を伸ばして。

世界平和というのは、ただの戯言だったのか、親知らずよ!


受け取った紙をくしゃくしゃに丸め、夜の街に、駆け出した
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# by shiitakesentaku | 2016-12-24 18:18 | 2016年12月

鳩軍曹

あまり慣れていない人たちと酒を飲む。
知らぬまに僕は床で寝ていて、早朝。
外に出て近隣の公園で煙草を吸う。

三匹の鳩が三角形の隊列で砂地を歩いている。
鳩軍曹、そんな言葉が脳裏をよぎる。
薄暗い公園、一日が始まろうとしている。
そして僕は昨日過ごした時間を、終わらせられずに煩悶としている。

慣れない人の集団の中ではろくに会話も出来ない性分で、言葉を発しても、ペラペラで内容のない事ばかり。
まだ僕のペラペラよりも、コンビニのビニール袋のペラペラの方が人類の役には立つのだろう、ビニール以下の、自己の希薄。

バイクを走らせる。

早朝のオフィス街では、気だるい会社員がゾンビよりは確かな足取りで歩いている。
都心部においては、夜明けというのは希望に満ちた幕開け、というよりは痛苦や忍従といった意味合いの方が強い。
惰性で一日が始まり、そして正確に終わらせるタイミングを掴めないまま一日が終わり、また一日が始まる。

明けない夜はない、という言葉があるが、そんなのは嘘だ。
更け続ける夜というのも、人の中には存在する。
日を追うごとに濃度を増していく夜。
人間の闇はスープのごとく煮たてられまさに、創業以来、継ぎ足して伝えられる秘伝のレシピ、というやつだ!
しかし日々の些事にとらわれて、忘れてしまう。もしくは、忘れようとしている。

鳩軍曹よ、さあ行軍だ。
更け続ける夜があるというのなら、明け続ける朝というのもあるはずだ。

闇を闇と認識するためには、光の存在が、不可欠なのだから。
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# by shiitakesentaku | 2016-12-04 13:02 | 2016年12月

鼻歌の断末魔

日曜の朝。木造アパートの薄い壁を通して、バイオリンを練習する音が聞こえる。
それは音楽ではなく、のたうち回る音の傷跡。
言葉の代わりに鼻歌で会話する極北の原住民が、その最期にあげる断末魔のように。

最近アーチェリーというものを始めた。人生で初の趣味というものが出来た。
やるほどに学ぶことは多い。
弓と矢はそれ自体、的を正確に射貫く性能を持っているので、いかにその性能を邪魔しないように体を土台とするか、つまり、道具よりも体の身分が低いのだ。
人は意思を持っているので、つい自分が世界の中心と考えてしまうが、そんな馬鹿なことがあるもんか。
環境にリアクションし続けて出来上がった、なんとなく出来上がったわたくし。
個人というのは所詮、存在の若輩者でしかないのだ。

色々考えながら矢を射るのだけど、元々体の神経がどんくさい人間なので、矢は的を外れまくる。
「いや、的を射るのが最終目的ではないのだ。的というのは一つの通過点で、如何に自分の体が物理法則の中できちんと方向のはっきりした土台となっているかの、確認作業なのだ!!」
、、、いくら大きい事をいっても、出来ていないものはどうしようもない。
ブレブレの私は、やはり土台としてもきちんと機能せず、矢は的を外し続けるのであった。
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# by shiitakesentaku | 2016-11-20 09:03 | 2016年11月

何もない休日。言葉通りに、何もない、休日。

街のそこここで洗濯機が回る音がする。
低音でうなり、回転するドラム。
それは不穏な未来の影を満載した、ヘリコプターが飛来してくる音にも聞こえる。

青空、洗濯物が風に揺られて悶絶している中を、習い事をするかのように私は追唱する、悶絶する。
要するに、二日酔いなのだ。

行き場のないテンションが体の内部ででたらめに反響して、自分というものを統一することができない。
それを助長する不安な気持ち、、要するに、金がないのだ。

低音でうなり、回転するドラム。

スマートフォンで見ていたグーグルマップサイズの住宅街が体の中に広がり、そこここで洗濯機が回る音がする。
体外と体内に二重に反響する、不穏なモーター音。

このように、欝々とした気持ちになっているのは、先日見た映画、シン・ゴジラの影響もあるのかもしれない。
あの映画では、有名な巨大建築物が壊される代わりに、閣僚が乗ったヘリコプターが撃ち落とされるということによって、その破壊の衝動を表現していた。
物理的に大きいものと小さいものを入れ替える。リサイズする。
そのようなやり方が巧みな映画だと思った。

そう思っていると、子供がミニカーで遊ぶように、自分の体もリサイズされて、体の中に街があったり、今度は自分が街にいたりするのだ。

極めて健全な動機で、それぞれの洗濯機は回転している。
しかし、街にさまよう私には、、得体の知れない一日の始まりを告げるかのように、不穏なヘリコプターが飛来してくるのだった。
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# by shiitakesentaku | 2016-09-06 23:06 | 2016年9月

最近余裕がないな、と思います。
余地、余白。
人は内容が充実しているから満足するのではなく、自分の持つ空白と、そこに入ってくる外部のものの循環するエネルギーにこそ、満足を見出すのだと思います。そうでなければ、人は、固定観念の虜です、、

まぁ、そんなことはどうでもよいのですが、昨日は酒に酔いすぎて、玄関のドアを開けっぱなしで寝ていました。
通りに向かって、オープンカフェスタイルの我が家。
個人情報、という概念がない世界。
もし仮に、そんな世界が訪れたとしても、気に入らないやつの情報など見たくもないでしょうから、結果的に、ダダ漏で」れになる個人情報を見ないようにそれぞれが気をつけて、結果、それぞれの個性を尊重することになるでしょう。
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# by shiitakesentaku | 2016-09-03 01:14 | 2016年9月

反復が生み出す倦怠と狂気

日々、仕事をしたり食事をしたり色々なことを繰り返す訳ですが、習慣。
それは、川の流れに流されないように流木に必死につかまる人の姿を連想させます。
人が生きていこうとする知恵というか発明のような気がして、繰り返すことによって足場を作り、自分という存在が流れてしまわないようにする。
武道で型を繰り返し稽古するのも、不測の事態にとっさに技が出るようにするための、環境の変化に対応するための知恵というか。 
ちょっと話はそれますが、酔っ払って記憶がなくてもなんとか無事家に帰ってこれるのも、駅と自宅を往復する「日常という型稽古」の賜物という感じがしますね。

繰り返す日々、と言うと「倦怠」という言葉も思い浮かびますが、それは足場が十分確保されたと人間が勘違いして生み出す作用だと思います。極端に言うと、永遠に生きてしまうのではないかと勘違いする恐怖のことです。

(ちょっと繰り返し、という言葉を使い過ぎていますね。でも語彙がないので、繰り返して繰り返しという言葉を使ってしまいます、繰り返しの魔力、ハムスターが車輪をグルグル回す力学)


気が狂ってしまった人が独り言を繰り返すのは、川の流れに流されてしまって、足元のバランスを崩してしまったように見えます。
繰り返す、というのはあくまで外部とアクセスするためのものでもあって(周囲の環境の変化に対応するため)、繰り返す事それ自体が形だけ取り残された、繰り返しの亡霊にとり憑かれてしまっている状態なのです。

狂気、外部とのアクセスを拒絶し、自身の内部でのみ循環している箱庭世界。

しかしそれは、川の流れに流されないように必死に足場を作ろうとした闘いの結果であることを忘れてはいけません。
形なきものに形を、本当は狂ったのではなく、ただバランスを崩しているだけのことなのです。

繰り返しで循環する世界は自分の内部だけではなく、外部にも無数にあるのだという当然の状況への気づき。そして、より大きな流れに接続しようという根気強い欲望。
日々の生活は、その実、大きな世界へ繋がるための下準備期間、という見方も出来るかと思います。


そのためにはまず、自分の偏りを自覚することが大切で、(絶対化と相対化、、)まぁ、その辺は後日。などなど色々考えてしまいましたね。ちょうど舞台で、セリフや動きを繰り返し練習している時で、気が付けば、独り言を言ってしまってて、やべぇやべぇと思ったり、ダークサイドに引っ張られないように。
そもそも舞台をやるというのは、片足を魔境に置きながらもう片方を現実世界に置く、ということですから。
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# by shiitakesentaku | 2016-06-14 08:01 | 2016年6月