待っている車を気にして、横断歩道を走って渡る人がいる。
人間としての権利を堂々と主張して普通に歩いて渡ればいいのになと思う。 車、というものが間にあるだけで、そこには人対人の関係があるばかりだ。 大きなものを操作していると自分まで強く大きくなったかのような錯覚が起きる。 それは自分の分をわきまえない調子乗りな行為だけど、車を気にして走る歩行者はその相手の調子乗りに加担していることになる。 力関係で言えば、あなたの方が強い、と。 それは謙虚さではない。 空想上の上下関係を助長する行いだ。 運転している側が謙虚になるべきで、力関係を人対人になるよう意識を下ろさなければならない。 (中にはクレイジーなドライバーもいるので、無用なトラブルを避けるために走る人もいるだろうけど) 大きいものは小さいものを鬱陶しいと思う。 自転車は歩行者を、バイクは自転車を、車はバイクを、そしてガンダムは車を。 そこには相手より優位に立とうとする心理が垣間見える。 そんなのめんどいよね。 色々優劣で判断しちゃうと、勝つか負けるかの2択で、自分の生存確率は下がってしまうでしょう。 本当に自分の事が大切なら、そんな土俵からはさっさと降りて、いかに敵を作らないかに気を向けた方がいい。 誰もいない荒野でラブ&ピースと叫ぶわ #
by shiitakesentaku
| 2021-01-23 13:37
| 2021年1月
人は失ったもので出来ている。
何かを失った時にはその場で立ち止まり、己と向き合わざるを得ない。 そこに自己が立ち上がってくる。 日々充足してスイスイ進むなら、わざわざ立ち止まる必要はないだろう。 昔読めなかった本が、今実感をこめて読める時がある。 それは自分が賢くなったとか、そういう問題ではない。 日々失敗を積み重ねた挙句、たくさんの傷を負ってしまい、その打撲としての言葉を体で覚えているから。 痛みは実感を伴う。 そして実感が足場となって、想像力の補助をしてくれる。 周りに翻弄されて傷を受けたりとか、その受け身の姿勢がなんとも情けないが、かと言って高みを目指すと、構造のもろい塔のように自重で折れやすくなってしまうだろう。(期待しすぎるのも高みを目指す行為だ。思い通りにいくことは稀なのでストレス溜まりまくりやで) それなら最初っから暴風雨の後の傘みたいにバキバキに折れて、地べたに這いつくばった方が身の丈に合ってええ感じ。 足取りは軽く、より低みへ! #
by shiitakesentaku
| 2021-01-19 12:50
| 2021年1月
畳の上に錆びたものを置いておくと、そのサビ汚れが染みついて取れなくなってしまった。
洗剤、重曹など色々試すも効果はなく、最後の頼みと漂白剤を使った結果… 汚れとともに畳の色素まで消え飛んでしまった! そこだけ白い塗料をこぼしたかのような、ブラックホールならぬホワイトホール。 周りと強調しない存在は、汚れも清らかさも、同じようなものだ。 ただただ違和感あるものとして周りから浮いてしまう。 地動説を追い求めて火刑にされた中世の科学者のように、たとえ正しいことを言ってても周りが正しいと思うものから隔絶してしまえば、待っているのは死なのである。 それでは漂白されたところと畳の色のところの境界線をぼやかせば、なんとなく全体のバランスが整って落ち着くのではないかと思い至り、短時間だけ漂白した結果… 中途半端に白いエリアが広がってもうたやんか! なまじっか短時間しただけに、その部分だけ大理石みたいにまだらになってしまい、余計汚く目に映る。 しょうがないのでその部分をブリーチすると、さらにその周辺に大理石模様が広がり収集が付かなくなっていく。 虚無感に包まれ、白の感染拡大をただ呆然と眺めるばかりであった。 最終的にはその部分にラグを敷いて、臭いものには蓋を作戦、みたいな感じで解決しました。 しかし、見ないようにすればするほど日に日に気になってしょうがなくなっていく。 あの扉を開けてはいけません。と言われた男は必ず扉を開けてしまう。 あのラグをめくってはいけません。と言われた男もまた。 そしてラグを手に掴んだまま床に広がったカオスの模様を見つめ、立ちすくむのであった。 ある夜、ついに耐え切れなくなり、それならばいっそのこと畳全体をブリーチすれば良いのではないかと思い立ち、近所の100円ローソンに行く。 でも別に悪いことしてる訳じゃないけど、ブリーチだけ大量に買うと精神異常者みたいに思われないかと気に病んでしまい(例えばバラバラ殺人の犯人みたいな)、一本使いきるごとに店に行き、都合四往復することに。 なんかよけい異常者っぽいやんか! 腹黒い友人を地下室に監禁して、漂白剤で彼を潔白にしようとする狂った友達想いの男、みたいな感じ。 今思い返せば、最初に漂白したときに出来たホワイトホールは、そんな大したことない染みだったのかもしれない。 それをなんとか誤魔化そうとして、どんどん状況は悪化していった。 そして最終的にはすべてをブリーチするというクレイジーな結果になってしまった。 その一枚だけ白く輝く畳の照り返し、を受けながら虚脱している。 嘘を一つつくと、その嘘の帳尻を合わせるためにさらに多くの嘘を付かなければならないという嘘のスパイラル、みたいなものに陥った気持ち。 ほどほどの所で留まることが大切なのだった。 でもあの頃の僕らは「ほどほど」なんて都合の良いものにすがることが出来たのかな? #
by shiitakesentaku
| 2021-01-11 15:02
| 2021年1月
(3年前にアップし忘れてた日記) まず第一の窓口に行き、郵送されたハガキを提出する。 人も少なくスムーズに事が運ぶだろうと思いきや、次は料金を払う窓口、そして次は視力を測る、写真撮影をする、それらの書類に不備がないか確認する、などいくつものセクションを行き来しなければならず、その度に詰まりに詰まった列に並びなおさなければならない。 なんという非効率的なシステムなのだろう。 たらい回しというか、頭の悪いピタゴラスイッチというか、私はベルトコンベアに乗せられたよく分からない工場の具となって翻弄され続けていた。 丸亀製麺のカウンターみたいに、レーンを進みながらちゃちゃっと完了出来ないものだろうか。 我々は、免許の更新をより煩雑にするために文明を発展させてきたのだろうか。 結果、更新時に受けなければならない講習に間に合わず、教室の入り口で立ち往生した人が団子状態になっている。 全宇宙の暗黒物質がすべてここに停滞したのち、高重力に凝集し、こんな制度もろともに滅亡してしまえば良いのである。 レクチャーが始まった。 教室を覆う不穏な空気。 それは日雇い労働のために一同に集められた者たちの頭上を覆う、鈍く重苦しい雰囲気に似ていた。 生活のためには不当な運命も受け入れなければならないという、諦念。 蛍光灯でてらてらと明るい教室は、よりその虚しさを照らし出している。 講師もその空気を察して自虐的なジョークを連発するが、それがより気まずさに貢献していく。 スランプに陥った芸人のように、空回りは響き渡るブルースと加速していく。 そのような状況を加味して、ハリウッド式講習会というのはどうだろうか。 授業の始まりはチャイムではなく、試験用道路からの爆発音なのだ。 組織の裏切り者はアタッシュケースを持ち逃げしていた。 適切な車間距離によるカーチェイス。 銃弾を避けながらの一時停止遵守。 S字クランクで減速したところで追いつき、ケースを奪取する。 更新された免許は無事に収められていた。 ざまあみやがれ、だ! もう試験会場に用はない。 爆砕される建物の熱量を背後に感じながら、悠々とその場を後にするのであった。 #
by shiitakesentaku
| 2021-01-04 09:55
| 2021年1月
コロナ禍、という言葉は言いやすいからつい使っちゃうけど、何かを踏み倒している感じもする。
東日本大震災の時も、すぐに「サンテンイチイチ」と呼ばれるようになった時に似たような違和感を感じた。 すぐ、というのが問題かもしれない。 まだその渦中にいて、自分も滅亡に向かって沈み込んでいるかもしれないのに、安全な地点に立ってしゃあしゃあとしながらニックネームを付けられるような気分。 呼びやすくする事はそのものにラベリングすることで、すぐに思い出しやすいという良さがあるだろう。 その分、すぐに忘れやすい、という事にも繋がらないか? 「後で読む」のファイルに入れた手紙は、そこに分類した事に満足しちゃって、気が付けば提出期限が切れたものばかりになってしまう。 使いやすいものは、その内容をよく顧みないで、つい知ったような顔をして使ってしまうから問題だ。 やがて形骸化して、あれ?屋根瓦が落ちてるなぁ。これもコロナ禍やからなぁ、とか、最近下っ腹が出てきてんけど、これもコロナ禍のせいかなぁ、とか、寝ぼけた女が彼氏を間違えてコロナ禍と呼んでしまいそれどこの男だよ?と言い争いになって修羅場になる、とか、まあそんな事にはならんと思うが、なんかよく分からん感じで言葉が一人歩きしていく。 とある男は、乗り換え駅を間違えて「コロナ禍」という駅で降りてしまった。 その駅は降車専用の駅で降りたが最後、再び電車に乗ることは出来なかった。 しょうがないので改札を出ると、眼前には奇妙な光景が広がっていた。 そこはすべてが「コロナ禍」という言葉で済ませてしまう町であったのだ。 良いものも悪いものも、美も醜もすべてが「コロナ禍」という言葉になってしまい混乱するかに思えるが、人はその場その場の状況を空気を読みながらなんとなくこなしていく。 コロナ禍? コロナ禍… コロナ禍!? コロナ禍…! お笑い芸人や司会者のように、場をいかに回すかに人々は長けていき、コミュニケーションの内容はますます空疎になくなっていくのであった。 私は愛する人の名前をも失ってしまった。 すべては同一の「コロナ禍」という呼び名になってしまったからだ。 そこにはもはや争いもない。 皆同じ呼び名なので、自己に固執する必要がもはや無い。 人は何も考えなくなり、海中にただよう海藻のようになってしまった。 すべての執着も対立もなく融和される世界、それはとっても心地よい。 迷い込んだ男はぬるい海中に漂いながらゆるい表情で、それって愛なん?ってつぶやいた #
by shiitakesentaku
| 2020-12-31 17:10
| 2020年12月
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